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30年間、フリーソフトウェアファウンデーションは、ユーザの自由のために闘い、自由ソフトウェア運動の導燈として光り続けてまいりました。

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原文は英語で、これはその翻訳です。

GNUについてまったく聞いたことのないGNUユーザ

リチャード・ストールマン

この問題についてもっとよく知るには、わたしたちのGNU/LinuxのFAQのページ、なぜGNU/Linux?のページ、そして、LinuxとGNUプロジェクトのページをご覧ください。

ほとんどの人々はGNUについて聞いたことがありません。GNUシステムを使っているほとんどの人々でさえGNUについて聞いたことがありません。たくさんの人々と会社がそれを“Linux”と呼ぶように教えるからです。実際、GNUユーザは、よく、「Linuxを動かす」と言いますが、これは「キャブレターを運転する」とか「トランスミッションを運転する」と言うようなものです。

そうは言っても、GNUについて知っている人々は、それを自由ソフトウェア運動の自由の理想と結びつけます。この関連は偶然ではありません。GNUを開発する動機はまさにコンピュータを使って、自由を有することを可能とするためだったのです。

“GNU”をまず最初に“GNU/Linux”に見る人は、それが何を表現しているかをすぐにわからないでしょうが、見出すのに一歩近くに寄ったと言えます。GNUという名前と、わたしたちの目標である自由と社会の連帯との関連は、GNUについて知っている何十万ものGNU/Linuxユーザの心にあるでしょう。それはgnu.orgとWikipediaにあります。Webのまわりにもあります。もしそのようなユーザーがGNUについて探せば、GNUが表す考えを見つけるでしょう。

それを探していない人でも、どうにかして出会うかもしれません。「オープンソース」のレトリックは人々の注意を自由の問題から遠ざける傾向がありますが、完全に、ではありません。まだ、GNUと自由ソフトウェアの議論はあり、人々がそれに触れるような機会があるでしょう。そういうことが起きたとき、もし、自分がGNUシステムの利用者だと知っていれば、読者はGNUに関する情報(それが自由とコミュニティのための運動の仕事であるというような)に注意を払いやすくなるでしょう。

時につれて、システムを“GNU/Linux”と呼ぶことは、GNUシステムをわたしたちが開発した目的である、自由の理想の自覚が広まるでしょう。この理想を知るわたしたちのコミュニティの人々にとっても、自由ソフトウェアの多くの議論が完全に現実的な(すなわち、道徳とは関係ない)アプローチで行われるこの世界において、理想を思い出す合図として役立つでしょう。システムを“GNU/Linux”と呼ぶことを求めるとき、わたしたちは、公衆が自由ソフトウェアの理想を知るように手伝ってください、と、あなたに、お願いしているのです。

[FSFロゴ]「わたしたちのミッションは、コンピュータ・ソフトウェアを利用、研究、コピー、改変、再配布する自由を維持、保護、促進し、自由ソフトウェアの利用者の権利を擁護することです。」

フリーソフトウェアファウンデーションはGNUオペレーティング・システムの主な組織的スポンサーです。GNUとFSFを支持しよう: マニュアル、関連グッズを買う賛助会員となってFSFに参加する、もしくは寄付をする(直接FSFへまたはFlattrで)。

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